2018年9月6日午前3時8分、胆振地方を震源とするM6.7の直下型地震が北海道を襲った。そして、それに引き続く停電により北海道全域が大きな打撃を受けることになった。
私の勤務する療育センターも大きな影響を受けた。地震当日の9月6日は全面的に休業し、情報が届かず直接来所された方にのみ手書き処方箋の発行と後日の会計で対応した。翌9月7日は朝に電力が復旧したため午前は設備の点検と復旧作業、避難手順の確認にあて、午後から通常業務を再開した。
診療が始まり、電話連絡も可能になると、地震や停電にも意外に落ち着いていたという方がいた反面、やはり調子が悪く自宅で過ごすことが大変だった、という声も聞かれるようになった。変化に弱い障がいのある人たちにとって、普段通っている園、学校、施設が急に休みになり、しかもテレビも見れず、インターネットも繋がりにくい、普段食べているものが手に入らない、外出もままならない、という普段とは全く違う状況の中で過ごすことはやはり大変なことだと思う。ましてや、停電が長期化したり、自宅を離れ避難しなければならない状況になったとしたら、今回とは比べ物にならない混乱が生まれたことは想像に難くない。
函館は地震から丸2日で殆どの地区の停電が解消した。停電中に多くの方々がそれぞれの立場でできることを続けられている様子はラジオやツイッターを通じて伝わってきたし、復旧に向けて懸命の努力を続けられた関係者の方々の努力には頭が下がる。多くの方々の自主的な、あるいは組織的な働きがあってこそ、この地域が大規模停電から大きな混乱なく復旧することができたことは間違いない。
しかし、この2日間、私の中ではなんとなく釈然としないものがあった。私自身、そしてこの地域が、この期間、障がいのある人たちが必要としているサポートを本当に届けることができていた、と胸を張って答えられる自信はない。少なくとも、助けを求めたいと思ったとしても、窓口まで直接来ていただく以外に私たちに直接連絡を取る手段はなかったし、困った人がどこへ、どうやって助けを求めたらいいのかを明確に示した公の情報は見当たらなかった。ましてや、自ら発信できずにいる小さな声を積極的に拾い上げ、まとめ、支援へとつなげる動きも(少なくとも私には)見えなかった。ということは、もし、もっと大規模で深刻な災害に見舞われた場合、この地域には、障がいのある人たちに組織的な支援を提供できる体制はない、ということなのではないか。
東日本大震災の教訓を踏まえ、各地で障がいのある人たちへの災害時の支援体制が検討されてきたたはずだ。私自身、本を読んだり、勉強会に参加したりして、自分なりに準備をしてきたつもりだった。しかし、今回の災害を通じて感じたのは、いくら知識があっても実際にそれを運用できる体制を準備しておかなければ絵に描いた餅にすぎない、というごくごく当たり前の事実だった。おそらくそんなことはとっくにわかっていたことなのだ。ただ、実際にそれを準備しようと思うと、膨大なマンパワーや資金を必要とすることは間違いない。そしてその事実と真剣に向き合うことは、それほど容易なことではない。だからこそ、だれもがその必要性を感じつつ、どこかで考えること、議論することを避けていたのではないだろうか。
普段ですら不足が叫ばれているほど限られた資源しか持たない地域が、災害時の問題にどう対処していけるのか。いまさらながらといわれるかもしれないが、今回の停電の経験は、新たな課題を私に突きつけている。