私は、ときどき「何科ですか?」と聞かれることがあります。シンプルな質問なのですが、これがなかなか答えにくいのです。
私は小児科医として自分のキャリアをスタートさせました。私が持っている唯一の専門医資格は、日本小児科学会のものです。ただ、実際には年齢制限はせずに成人の方も診ていますし、私の外来の1/3は成人の方でしょう。ここからすると、小児科医、と言い切ってしまうのもちょっと違うような気がします。
大きい病院や専門病院の中には、小児神経科という専門科がある場合もあります。私は小児神経科でトレーニングを受けた時期がありますし、日本小児神経学会という学会もあって、私も一応学会員です(専門医資格は持っていません)。ですから小児神経科医といえなくもないですが、専門医ではない以上、それを名乗るのは気が引けます。
実は、保険診療の枠組みの中で成人の方も含め発達診療をしようと思うと、精神科として行うしかありません。ですから、私の外来のほとんどは精神科として行っています。では、精神科医か?と言われると、精神科医としての正式のトレーニングは受けたことがありません。専門医資格どころか、日本精神神経学会の会員でもありませんし精神保健指定医でもありません。それで精神科を標榜しているとは何事か!とお叱りを受けるかもしれません。ニセ精神科医と言われれば、全くその通りと認めるしかありません。
最近は、児童精神科医として紹介されることも多くなってきました。仕事の内容は、確かにそれが一番近いかもしれません。イギリスでは児童精神科の多職種チームで勉強しましたし、アメリカでも児童精神科医のクリニックに陪席させていただき勉強した時期があります。でも、日本の児童精神科医は、まず一般の精神科医としてトレーニングを受け、その中の専門分野として児童精神科に進むのが一般的です。そういう意味では、私は普通の児童精神科医とはかなり違っています。日本児童青年精神医学会の会員ではありますが、きっと専門医の資格は一生取れないでしょう。
理学療法、作業療法、言語聴覚療法などのリハビリテーションの処方箋も日常的に書いています。でも、リハビリテーション科、とはとてもいえません。一応、日本リハビリテーション医学会の会員にはなっていますが、認定医も専門医も資格を持っていませんし、リハビリテーション科の医師として正規のトレーニングを受けた経験もありません。
私がこんな宙ぶらりんな正体不明のコウモリ医師になったのには、それなりに理由があります。今から20年近く前、私が一人の医師として発達診療に興味を持ち、そのことを学んでいきたいと思ったとき、日本の中には発達診療に特化したトレーニングを受けることのできる仕組みがありませんでした。確かに小児科でも、小児神経科でも、精神科でも、児童精神科でも発達障がいの診療は行われていましたが、できるのはせいぜい診断ぐらいまでで、そこにすらケンケンガクガクの議論があり、治療や療育、支援に至ってはさらに混沌としていました。私だけでなく、現場の医師のほとんどは、何らかの確立したものをよりどころにしていたというより、毎日が試行錯誤、手探り状態だったのです。
ある日、私は発達障がいの権威といわれていた高名な先生に、「発達障がいについてきちんと勉強したいのですが、どうしたらいいでしょうか?」とメールを書きました。私は無名の若造にすぎず、相手は私のことなど全く知りません。今考えると、とても無謀なことをしたと思います。案の定、返事はとても厳しいものでした。たった一言「自分で勉強しなさい」と書いてあったのです。まあ、返事をもらえただけ、まだよかったのかもしれません。
でも、その返事は、一つのきっかけになりました。私は、特定の標榜科にこだわらず、何々学会の何々専門医を目指すのでもなく、発達診療を行うために必要な知識や技術を独力で学ぶことにしたのです。こう書くと、一見かっこよく見えますが、それなりのリスクもありました。何を学ぶのかを自分で考え、自分で選ぶわけですから、とても独りよがりになりやすい可能性もあります。学会の到達目標に沿って専門医を目指すのに比べると、試行錯誤が多くなり学ぶ効率も落ちます。自分勝手に勉強したことがうまくはまるような、都合のいいポストがあるかどうかだって定かではありません。
実際、その後の私の医師としての知識や技術にはかなりの偏りができました。成人の精神障がいには詳しくなく、薬の使い方も本物の精神科や児童精神科の先生に比べると未熟です。認知行動療法も心理カウンセリングもできません。小児神経科の先生ほど神経学的診察を上手にすることもできませんし、脳波もろくろく読めません。
それでも、私自身は、今でも自分が選んだ方法は間違っていなかったと思っています。なぜなら、やっぱり発達診療に必要な知識や技術は、特定の科の枠組みの中に納まりきるようなものではなかったからです。特に、小児科医として子どもしか知らなかった私が大人になった人たちと出会うようになったことは、子どもを診るうえでも私の診療に大きな変化をもたらしました。一般的な医療の枠組みを飛び出したことで、福祉や教育の役割について学ぶことができ、自分の診療の強力な武器になった部分もあります。
たぶん、独自の道を歩き始めて一番大きかったのは、こと発達診療に関しては、どんな名医でも結局は一人でできることはとても限られていて医療機関の中だけですべてを完結させることはできない、と知ったことでしょう。そのためには、自分自身の中にある垣根をできるだけ低くして、たくさんの人たちに教えてもらい、助けてもらわなければなりません。もちろん私も人間ですし、もともと人付き合いが得意な方ではありませんから、自分の垣根をうまく低くできずに人とのつながりを上手に作れないこともあります。医師という肩書だけでも、なんだか忙しそうだし近づきにくそう…と思われてしまうことも多いかもしれません。でも、自分ができる限りたくさんの人にとって接しやすい、使い勝手の良い存在でありたいと願っていることだけは確かですし、そう思って日々自分を顧みながら勉強を続けています。
一つだけ後悔しているのは、自分が歩んできた道が医師としては独特なので、学んできたことを他の医師に伝えるのが難しいということです。キャリアパスという点から見ると不確実で後進の医師におすすめできるようなものではありませんし、学んできたものもそれほど整理されたものではありませんから体系的な教育プログラムにもなりません。そういう意味では、これから学ぼうとしている医師にとって、大学病院や大きな総合病院・専門病院で学んだり、学会の到達目標に沿って勉強して専門医になっていくという選択肢は、やっぱり大切だし、きちんと充実させていく必要があるのだろうと思います。実際のところ、私が学び始めたころに比べると、系統的に勉強のできる体制はずいぶん整ってきましたし、各学会でも発達診療に関する教育を充実させる方向に動いてきています。だから、私のような学び方は時代遅れになってきているといえそうですし、そうであるべきだとも思っています。
そんなことを考えつつも、「何科ですか?」という質問に悩む日々は、当面終わりそうにもありません。