35. オキシトシン研究の動向 ~最近の論文から~

このブログでも取り上げたことのある自閉症とオキシトシンに関する話題ですが、ここのところ重要な論文が相次いで発表されていますので、今回はその内容をご紹介したいと思います。

まず、つい最近になって発表された二つの論文をご紹介します。一つは、オーストラリアから、一つは日本からのもので、結論はオーストラリアからのものが効果なし、日本からのものは一定の効果あり、と一見正反対になっています。この二つの論文は、対象とした年齢が異なっているほかオキシトシンの投与量や民族による遺伝子型の違いなども考慮しなければならないため、完全に並列に論じることはできないのですが、研究方法に共通する点が多く、また、表面的な結論こそ正反対に見えますがデータ上は共通する点も多いため、あえて比較してみることにしました。原著は次のリンクを参照してください。

共通点は、二重盲検、無作為割付、比較対照試験というエビデンスレベルの高い方法論に基づいていること、それぞれ8週間、6週間という比較的長い期間にわたって投与し効果を見ていること、対象がDSM-IV TRに基づく広汎性発達障がいであること、診断のための行動観察法にADOS (Autism Diagnostic Observation Schedule:自閉症診断観察スケジュール)という信頼性の高い国際標準の手法を導入していることなどが挙げられます。いずれも臨床研究としてはかなり良質の研究デザインに基づいているといっていいでしょう。

まずはオーストラリアの論文を見てみます。この研究の特徴は、12~18歳という年長の小児を対象としていること、研究対象の人数が計50名(オキシトシン群26名、対照群24名)と比較的規模が大きいこと、主要な評価指標としてSRS(Social Reponsive Scale:社会性反応スケール)、CGI-I(Clinical Global Impression scale, Improvement Subscale:臨床総合印象スケールの改善サブスケール)といういずれも印象に基づいた主観的な指標を使っていること、治療期間中とフォローアップ期間中に保護者に対して子どもがオキシトシンとプラセボ(偽薬)のどちらを投与されていると思うか、という質問をし、結果との相関を見ているという点です。このうち、SRSは保護者に対する質問紙法、CGI-Iは臨床家が自分の印象をスコア化するものです。オキシトシン投与開始後4週間と8週間、投与終了後3カ月後に評価を行いました。結果としては、オキシトシン群とプラセボ群ではいずれの評価項目にも明らかな差は見られませんでした。その一方で、子どもがオキシトシンを投与されていると保護者が感じている場合には、社会性、行動発達、常同的行動のいずれの分野にも明らかな改善が認められていました。

次に日本の論文を見てみます。この研究の特徴は、18歳~55歳という成人期を対象としていること、主要な評価指標としてADOSとCARS (Child Autism Rating Scale:小児自閉症評定尺度)という比較的客観性の高い方法を用いていること、二次的な評価指標として、SRSなどの主観的な方法に加えてfMRIを用いた脳血流の評価という客観性の高い生物学的な指標を導入していることなどが挙げられます。また、この研究ではクロスオーバー試験という方法を使って、9名をオキシトシン群、残り9名を偽薬群に割り付け6週間の投与を行った後に第1回の評価を行い、次に群を反対にして6週間の投与を行った後に第2回の評価を行う、という形になっています。そのことによって、研究参加者は18名ですが、実質的に36名分(オキシトシン群18名、対照群18名)に相当するデータを得ています。結果としては、オキシトシン投与後にはADOSの社会的相互性領域に有意なスコアの低下(自閉症の特徴の軽減)が見られ、また、オキシトシン投与後には前帯状皮質および背内側前前頭皮質に血流の増加と非言語性の社会的状況判断の向上が認められました。さらにこのfMRIによる血流の増加とADOSの社会的相互性スコア、課題の向上の間には有意の相関が認められました。さらに、これらのオキシトシン6週間連続投与後の効果の程度は、単回投与後と同じ程度でした。

これらの結果をみると、この二つの論文は正反対の結論に至っているように見えます。ただ、データを細かく見ると、いずれの論文にも注意しなければならない点があることが分かります。まずオーストラリアの論文では無作為割付を行ったものの、結果的に二つの群のIQに有意差が生じています。オキシトシン群のほうが言語性IQが明らかに低くなっていて、このことが結果に影響している可能性も考慮しなければなりません。また、日本の研究では、確かに統計的な有意差はあるものの、オキシトシン投与後のADOSの社会相互性領域の差は非常にわずか(オキシトシンを先に投与した群では8.4→7.9、後に投与した群では8.6→8.0)で臨床的にはほとんど誤差範囲内といってもいいほどであり、しかもコミュニケーション領域には有意差が見られません。この程度の差を日常生活の中で実感することはかなり難しいのではないかという印象を持ちました(私自身、ADOSの研究者向けトレーニングを受けたことがあり、日常診療でも診断の補助として使用しています)。また、社会的状況判断の課題の結果を見てみると、統計的な差は確かにあるのですが個々には成績が下がっているケースも複数混じっており、この点については、どのようなケースで効果がありどのようなケースでは効果がない(または悪化する)のか、といった点についても検討が必要なのではないかと感じました。さらに、オーストラリアの論文で直接の評価指標としているSRSは日本の論文でも有意差はなく、直接比較できるデータの点ではこの二つの研究にはそれほど大きな差はない、つまり臨床的あるいは日常的に実感できるほどの効果はないと考えてもよさそうです。

この二つの研究を比較すると次のようにまとめられるのではないかと思います。

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(表の拡大はこちら

結論としては、オキシトシンについてはまだまだ研究が必要で、少なくとも当面は「画期的な夢の治療薬」というわけにはいきそうもないということです。

オキシトシンについては、最近、非常に優れた解説記事が発表されています。
Shen “Neuroscience: The hard science of oxytocin” Nature (2015) 522(7557):410-2

この記事では、オキシトシン研究の歴史を振り返り、「愛情ホルモン」として脚光を浴び夢の自閉症治療薬として世界中が熱狂した時代から、予想以上に複雑な働きを持ち、簡単には割り切れないことが明らかになってきた最近の知見までを紹介しています。そして、オキシトシンの研究はその複雑さのゆえに神経科学の理解を新たな地平へと導いてきた一方で、「愛情ホルモン」という単純化されたイメージによって粗雑な臨床研究が数多く行われ、現在も適応外の「治療」が横行していることを指摘しています。最近の報告では、動物実験レベルでも、初回投与時には社会的行動を増やしても、投与量が増えるにつれてむしろ社会的行動を減らす場合があることが示されています。ヒトについても、オキシトシンの投与がむしろ攻撃性を高めることもあるなど行動に悪影響を及ぼす場合もあることがわかってきました。その一方で、マウスを使った研究から、自閉症の候補遺伝子の一つであるCntnap2遺伝子に変化を持つ場合にはオキシトシンの脳内での低下があり、オキシトシンの投与が社会的行動を回復させることが示されています。ですから、大多数のケースでは効果がなくても、一部の遺伝子型を持つ人の場合には効果が期待できる場合もあるかもしれません。ただし今のところは、オキシトシンが治療薬として有効な人がいるとしても、ごく少数にとどまる可能性もあります(Cntnap2遺伝子の変化が自閉症全体に占める割合は非常に低いものと考えられています)。

その意味では、今回発表されたこの二つの研究は、研究デザインの点でも、倫理性という点でも、現在までの臨床研究とは一線を画した意義深いものであることは間違いありません。人間の脳は、とても複雑なものです。単純化されすぎた理解は、時として有害な結果をもたらすこともあります。センセーショナルな報道に踊らされず、しっかりとした結果が出るのを見守りたいものです。

私も一人の臨床家として、これからもオキシトシン関連の論文を注視していきたいと思っています。

函館で発達にかかわる診療をしている医師です。

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