34. 「配慮」が「不公平」になるとき

ある集団の中に「配慮」の必要な人がいる場合、周囲の人たちから「不公平だ」と文句が出ることがあります。このような状況に対応しなければならないのは、たいていは指導的な立場であったり、グループのリーダーやマネージャーといった立場の人たちでしょう。学校であれば担任の先生ということになるでしょうし、職場であれば管理職になるでしょう。

このような不満を解決するためには、何が必要なのでしょうか?一番簡単なのは、「配慮」をしないことです。この方法のメリットは、一見とても「公平」なやり方だということ、そして管理が楽だということです。全員が同じ条件ですから、個人がその条件に合わなければ、個人の方が努力して合わせるしかありません。努力するのは基本的に個人の側ですから、管理する側の手間は(理屈の上では)とても少なくなります。

ただし、この方法には重大な欠点があります。それは完全な「公平」を達成するのはそれほど簡単ではないということです。複数の個人がある組織に所属している場合、すべての人が全く同じ条件ということはあり得ません。多少なりとも違いがある方が普通です。だから、組織の中に不満が渦巻いている場合、それを解消するための手段を「公平」に求めようとすると、ある不満を解消しても別の点で新たな不満が生じる、というイタチごっこになってしまうことが少なくないのです。

私もこの問題で悩んでいたことがあります。ある病院に勤めていたとき、私は当直を決める係をしていました。医師とはいっても、一人一人が抱えている状況は様々です。年齢もバラバラですし、男性もいれば女性もいます。家庭のある人、独身の人、子どものいる人、介護の必要な親がいる人、宗教上の事情のある人。体力が比較的ある人もいれば、ちょっとしたことで体調を崩しがちな人もいます。この日に当ててもらいたい、という要望もあれば、この日はできません、と言われることもあります。そういった中で当直表を作るのはなかなか大変な作業でした。個々の人たちの事情を勘案して当直表を作ると、必ずだれかの不満が出ます。

困り果てていたある日、もっと難しい問題に取り組んでいる人が身近にいることに気づきました。それは、病棟の看護師長さん(当時はまだ「婦長さん」と言っていました)でした。病棟の看護師長は、看護師全員の希望をとりまとめて毎月勤務表を作ります。その病院は三交代制でしたから、20名以上のスタッフについて、日勤、準夜勤、深夜勤の三種類を組み合わせて勤務表を作るのです。これはかなり大変な仕事です。

たかだか当直表を作ることにすら汲々としていた私は、スタッフからとても人望のあった婦長さんに「勤務表を作るときに、どうやってみんなの不満が出ないようにしているんですか?」と尋ねました。婦長さんの答えは明快でした。

「もちろん、勤務表はできるだけ公平に作るように気をつけているけれど、勤務表だけで不満が出ないようにするのは難しいわね。どちらかと言えば、普段のみんなの仕事が大変になりすぎないように病棟全体の仕事量を調整することの方が大切ね。それと、スタッフの一人ひとりが、『婦長は自分のことを見てくれている、評価してくれている、心配してくれている』と思っていてくれていると、勤務表に多少不公平があっても、理解してくれることが多いと思うわ。勤務表のことでみんなが不満を言うときには、そのこと自体が問題という場合もないわけじゃないけど、実際にはそれよりも、普段の仕事自体が大変すぎたり、自分が大切にされていない、という日常的な不満の現れのことが多いのよ」

そう答えた婦長さんは、「だから、夜中にあんまり入院を入れないでね」と笑顔で私にくぎを差すのを忘れませんでした。

私は内心、一本取られた、と思いました。確かに同僚の医師たちの不満の原因は、本当は当直表のことなんかではなくて、普段の仕事が余りにも大変で、そのうえ、自分たちが一生懸命働いているのにそれに見合った評価をされていない、という気持ちだったのです。

「配慮」をしなければならない人は、どんな組織にも多かれ少なかれ存在するでしょう。そのことに対して組織の中に不満が生じるとき、表面的な「公平」によってその問題を解決しようとすると、事情のある人はすべて排除するという閉鎖的な解決方法になってしまうことがあります。もしかすると際限のない公平化の袋小路に入ってしまうかもしれません。むしろ大切なのは、「配慮」の必要がないように見えるそのほかの人たちに対してこそ負担が重くなりすぎないように配慮したり、一人ひとり「特別な存在」として十分なコミュニケーションとフィードバックをすることなのでしょう。学校であれば、特別支援が必要な子どもだけではなく、その他大勢の「普通の」子どもたち。職場であれば、働き方に配慮が必要な一部の職員だけではなく、普通に働いている大多数の職員。マイノリティーの人たちを大切にしようと思えば、マジョリティーの人たちをおろそかにしないこと。難しい問題への回答を笑顔でさらりと言ってのけた婦長さんは、そんなことを私に伝えたかったのだと思います。

私も仕事柄、特定の人に「配慮」すべきかどうか、「配慮」するとしたらそのことに対する不満をどう解消したらいいのか、という相談を受けることがよくあります。また、私自身も組織を運営する立場として同じ問題に直面することがあります。そのような場合、「配慮」のほうをどうするのか、周囲にどう理解を求めるのか、という視点だけでなく、「配慮」の対象外になっている「その他大勢」の人たちのために何ができるのか、ということも、同時に意識していきたいと思っています。

「配慮」が必要な場合には、その人だけに焦点を当てるのではなく、周りの人も含め一人ひとりを大切にすることの延長線上にあるものにしていきたい。私が当直係として学んだ大切な原則の一つです。

(2020年11月22日 「特別扱い」を「配慮」に変更し、一部書き直しました。)

函館で発達にかかわる診療をしている医師です。

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