私の職場、おしま地域療育センターは、支援のレベルという意味でも、地域への貢献という意味でも、まだまだたくさんの課題を抱えた未熟な施設です。でも、そんな弱小施設でも、私が誇りに思っていることがあります。その一つは、スタッフの口から「モンスター・ペアレント」という言葉を聞いたことがないことです。
利用してくださっている保護者の方々が私たちの施設に100%満足してくださっているというわけではないでしょう。私自身も、スタッフも、保護者の方から厳しい意見をいただくことがあります。時には、私たちの抱えている事情からすると早急に解決が難しいような指摘があったり、場合によっては誤解が背景にある場合もあります。しかし、私たちのスタッフがそれを保護者の責に帰するような発言をすることはありません。私自身がこの職場で働き続けることのできている理由の一つは、スタッフに恵まれている点にあるといってもいいでしょう。
私たちの施設を利用されているお子さんや保護者の方々の中には、様々な事情を抱えた人たちがいらっしゃいます。経済的に困窮している場合も少なくないですし、家庭そのものが非常に不安定なこともあります。保護者自身が精神障がいを抱えていたり、知的障がいや発達障がいを持っていらっしゃる場合もあります。そうでなかったとしても、子どもに障がいがあるとわかった保護者の方々が、子どもを守るために闘わなければならない状況に追い込まれていることは決して稀ではありません。
ちょっとした例えで考えてみましょう。今、あなたは子どもと一緒に客船で旅をしているとします。子どもと楽しく談笑していたその時、船に大きな衝撃が走り、その後、船はゆっくり傾き始めます。船内放送があり、船長が、船が座礁し沈没の危険があることを伝えます。人々はわれ先に甲板へと急ぎ、救命ボートに乗ろうとするでしょう。ところが、救命ボートには限りがあり、皆が乗ることはできません。あなたはたまたま救命ボートから遠い船室にいたために、子どもを連れて救命ボートに行きついたときにはあと数名しか乗れない状況でした。あなたは大きな声で叫ぶでしょう。「ここに子どもがいるんです!何とかこの子を乗せてください!」と。もしかすると、周りの人たちを押しのけて、子どもを乗せようとするかもしれません。
子どもの人生が脆弱なもので、もしかすると苦しみに満ちたものになるかもしれない、場合によっては生命の危機に直面してしまうかもしれないと感じるとき、保護者は本能的にその子どもを守るための戦闘態勢に入ります。それは人間だけに限りません。子どもを連れた母熊は時として人間を襲うことがあります。それは、子どもを守るために遺伝子に書き込まれた行動なのです。
私たちのスタッフは、それを理解しています。だからこそ、辛い立場に置かれた保護者の気持ちを受け止め、それに応えることを、プロフェッショナルとしての仕事の一部と心得ているのです。「モンスター・ペアレント」という言葉を使わないだけでなく、職員室で保護者の陰口に花を咲かせることも決してありません。私は、施設長として、そのことを本当にうれしく、誇りに思っています。
もちろん、私たちの仕事には対人援助職としての厳しさがあります。そして「仕事なんだから我慢しろ」だけでは、厳しいやり取りを支えきることができないことも確かです。ですから、私たちの施設ではスタッフのメンタルヘルスの維持に特に力を入れています。具体的には年1~2回、メンタルヘルスにかかわる研修を行うこと、メンタルヘルス担当の職員を決め、その維持・管理を組織として行うことを心掛けています。私自身も全職員と定期的に面接し、日常的にスタッフのストレスや疲弊度を把握するように努めています。事実、この10年間で診療所の利用者数は3倍に伸び、児童発達支援事業の利用者数も増加しているため、職場の忙しさは劇的に増していますが、離職率はむしろ下がっています。
学校の先生や入所施設の職員の方から見ると、私たちのように原則として保護者同席で一回の時間も短い立場はむしろ簡単に見えるかもしれません。確かに、学校や入所施設のように保護者抜きでお子さんと長時間かかわるような機関と私たちのような機関を同列に論じることはできないでしょう。それでも、私たちの法人の通所施設や入所施設の職員が「モンスター・ペアレント」という言葉を使うことを聞いたことは、やはりないのです。
私は、障がいを持つ子どもとその保護者と関わる立場の職員が「モンスター・ペアレント」という言葉を使うとすれば、それはプロフェッショナルとして、そして施設としての敗北を意味していると考えています。それは個人の努力に帰するべきものではなく、個々の職員のトレーニングも含め、施設として組織的に取り組むべき問題だからです。
保護者も支援者も不幸に追い込む言葉、「モンスター・ペアレント」。私たちの施設に限らず、日本のどの場所でもこの言葉を使わなくても済む日が一日も早く来るように、私自身も自分にできることを考えていきたいと思っています。