4月2日は、世界自閉症啓発デーでした。私は仲間とともに今年も啓発イベントの企画にかかわりました。
世界自閉症啓発デーや啓発イベントについては、様々な考え方や意見があります。もちろん必ずしも肯定的なものだけではなく、批判もあります。以前にもこのブログで書いたように、私自身はそのこと自体は自然なことだしむしろ良いことだと思っています。なぜなら、議論があることで、自閉症の人たちがよりよく生きていくための支援の在り方を考える貴重な機会になりえるからです。そして、今までも実際にそのような経験を何度かしてきました。今回は、その中から私にとって特に印象深かったエピソードをお伝えしたいと思います。
今回の企画の一つに協力していただこうと、私たちはYさんという方に連絡を取りました。私たちは以前にもYさんに会ったことがあり、私自身、その筋の通った生き方に強い印象を持っていました。そんなYさんに、ぜひ世界自閉症啓発デーに協力していただきたいと思ったのです。たいていの方は、私たちがイベントの趣旨や内容を説明すると、好意的に受け取ってくださり、協力を前向きに検討してくださいます。しかし、Yさんの反応は違っていました。「少し考えさせてもらいたい」という返事をいただいた翌日に、メールでお断りの連絡が来ました。その内容自体をここでご紹介することはできませんが、非常に心のこもった、そして率直な信念がつづられたものでした。私はそのメールに感激しました。なぜなら、そこにあったのは、職業こそ全く違えども私たちと同じことを感じ、異なる方法で同じ目標に向かって歩き続けている一人の誠実な人の姿だったからです。私たちとの違いは、手段として何を優先するかの違いにすぎませんでした。ただ、その違いはYさんにとっては非常に重要な違いであり、だからこそ私たちのイベントに直接参加をするという方法を受け入れることは難しかったのです。何度かメールをやり取りさせていただき、私はYさんとの間の信頼関係が深まっていくことを感じました。お断りのメールをいただいたわけですからとても奇妙なことなのですが、私はとてもすがすがしい気持ちでした。おそらくYさんもそう感じてくださっていたと思います。
繰り返しになりますが、啓発活動はもちろんのこと、自閉症の人たちにとって学びやすく暮らしやすい環境を整えていくための手段は一つではありません。自閉症支援という山に登るためのルートは一つではないのです。私は、違ったルートから山に登るという決断をした人たちとも、いつか山の頂上で出会いたいと思っています。そしてそれは決して不可能なことではないということを、今回の経験を通じて実感することができました。
そしてもう一つ大切なことは、私が啓発活動に携わることなく診察室の中だけにいたら、きっとYさんとの交流は表面的なものに終わり、その信念と生き方の根幹に触れることもなかっただろうということです。世界自閉症啓発デー、そして啓発イベントは、私自身にとっても新たな啓発をもたらしてくれました。これからもこの活動に携わり、様々な人たちの考え方や思いに触れながら、私自身も成長していきたいと思っています。