22. 不完全さの魅力

私は若い頃、いわゆる本の虫でした。特に夢中になったのはヘルマン・ヘッセでした。ヘッセの作品には大好きなものがたくさんあるのですが、特に私にとって特別な作品となり、何度も読み返したのが邦題「春の嵐」(原題「ゲルトルート」)でした。

主人公クーンは若い頃の事故のために歩くことが不自由になり、失意の中で音楽を自分のよりどころとするようになります。やがて破天荒な天才歌手のムオトと出会い、二人の間には奇妙な友情が生まれます。音楽家としては特別な注目を集めることもない不器用なクーンと、容姿にも音楽の才能にも恵まれ、将来を嘱望された天才ムオト。ムオトは、クーンの作曲した音楽を聴き、一見凡庸なバイオリニストの音楽が単なる娯楽やなぐさめではない、孤独と絶望の叫びであることを見抜いたのでした。しかし、ムオトはクーンの永遠の女性ゲルトルートをクーンから奪い、そしてムオトは自ら破滅への道を歩んでいきます…

もう一つ、私が若い頃に夢中になった小説が、サマセット・モームの「人間の絆」という長大な作品でした。この作品の主人公フィリップは、幼くして両親を失い、不自由な足のために常に劣等感にさいなまされて育ちます。一時は信仰によりどころを求め聖職者を目指しますが、宗教が自分を救ってくれないことを知り、芸術家として生きていくことを決意します。しかし芸術家としても凡庸の域をでないことを知り、さらに愛する女性の堕落した姿を目の当たりにし、おりしも勃発した戦争で全財産を失ったフリップは、絶望の果てに自らの生の意味を見いだすのでした・・・

この二つの作品に共通しているのは、登場人物が不完全な存在として、そしてそれが故に苦しみ、葛藤する存在として描かれているということです。これらの作品が私を含め多くの人たちを引きつけ、普遍的な価値のある作品としていまだに読み継がれているのは、私たち自身が本質的に不完全な存在であり、それがゆえに不完全なものに共感と魅力を感じるということなのでしょう。

この二つの作品だけでなく、多くの文学作品が、人間の不完全さと、それが故の美しさ、いとおしさ、そしてその不完全さへの共感をテーマにしています。

時間に追い立てられるようにして暮らす毎日ですが、時にはお気に入りの本を読み返したり、新しい本と出会ったりして、自分自身の生き方についてじっくり考える時間を持ちたいと思っています。

(作品のあらすじは、文庫の紹介として公開されている範囲内にとどめています)

函館で発達にかかわる診療をしている医師です。

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