14. 知能って何ですか? ~アナロジーを使って考える~

発達診療にたずさわっていると、知能検査の意味について考えることがあります。私にとって「知能」とは、ずいぶん長いあいだその意味がよくつかめないものでした。しかし、知能について勉強するうちに、あるアナロジーを使うと、知能という実体のないものについてよく理解できることに気付きました。

私は、知能を「体の大きさ」という概念に例えて考えてみることにしています。「体の大きさ」は、漠然と認識はできるものの厳密に定義することは難しい特性だといえ、その意味で知能に似ています。私たちが「体の大きさ」を測定しようとするとき、実際に測ることができるのは、身長や体重、胸囲、腹囲、腕の長さ、靴のサイズといった、「体の大きさ」と一定の関係はあるけれど、決して一対一には対応しないものだけです。身長は高いけれど体重は少ない人もいるし、腕は長い一方で身長はそれほど高くない人もいます。しかし、統計的に見れば、「体の大きい」人は、身長も高く、体重も多く、腕も長い傾向があります。つまり知能検査とは、これらの実際に測定できる数値を組み合わせて「体の大きさ」という、直接には測定することのできない概念を表そうとする試みに近いものだと考えることができます。

ウェクスラー系の検査やビネー系の検査などは、どんな測定値を組み合わせ、どのように代表させて知能を測るか、それぞれに工夫を凝らしています。だから、異なる知能検査の結果(知能指数)には、高い相関はありますが決して一対一の対応にはなりません。たとえば、背があまり高くないのに腕が長い人は、「体の大きさ」を測るために腕の長さを項目に加えている検査とそうでない検査では、出てくる数値はかなり異なったものになるでしょう。反対に、プロポーションが平均的な人では、検査ごとのばらつきは小さくなるかもしれません。また、二人の人がある検査で数値上「同じ」体の大きさになっても、その検査が身長と体重を項目として含んでいれば、一人は背が高く体重が少ないかもしれないし、もう一人は背は低いのに体重が多いかもしれません。つまり、数値が同じだったとしても、二人の人が体の大きさにかかわることについて何から何まで同じ、ということは意味していないわけです。

このアナロジーを使えば、知能指数の背景にあるとされる「一般知能」や「g因子」と言われるものが、「体の大きさ」に相当するということになります。知能指数の最も厳密な定義は「特定の知能検査が測定したもの」であり、それ以上でもそれ以下でもありません。だから、異なる知能検査による知能指数は厳密にいえば全く別のものであって、直接に比較することはできません。その一方で、たいていの知能検査による結果の間には高い相関があります。それは、多くの知能検査が異なるものを測定しながらも、最終的には「知能」という共通の仮想的な概念を表現しようとしているからです。

このように考えるようになってから、私は知能指数が限定的な測定値の組み合わせ、すなわち「知能検査が測定したもの」を表しているに過ぎない、ということに思いをはせながら知能検査の結果を解釈するようになりました。同時に、知能検査が何をどのように組み合わせて知能指数を算出しているのか、つまり「知能」をどのように表現しようとしているのかに関心を払うようにもなりました。

アナロジーの力にはなかなか侮れないものがある、そう感じた一つの経験です。

函館で発達にかかわる診療をしている医師です。

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