本当の話なのか作り話なのかはわからない。私が大学院生のときに指導教官のK先生から言われたことだ。
ダイヤモンド専門の鑑定士を育てるには、最初は本物のダイヤモンドしか見せないそうだ。はじめから偽物を見ていると本物と偽物の区別がつけられなくなるという。
K先生は、大学院生のような研究の世界に入ったばかりの者こそ一流の論文だけを読め、と続けた。はじめから三流の論文を読んで育つと三流の仕事があたりまえになってしまうからだ。残念ながら私自身はその後大成することなく研究者としての道をあきらめることになったが、臨床医になってからもこの言葉は私に影響を与え続けた。そして、どのような仕事であってもこの言葉には真実が含まれていると確信するようになった。職種や立場に関わらずすぐれた仕事をしている人に共通していることは、その分野の一流を知っているということ、そして一流と自分との距離を知っていることだと思う。
では、どうしたら一流の仕事と出会えるのだろうか。幸運な人は、学び始めた時や働き始めた時に出会っているかもしれない。必ずしもそのような幸運に恵まれなくても、一人妥協せず一流に出会う努力を続け目指す仕事や考え方に到達する人もいる。反対に、身近な一流に気づかない人や三流にどっぷり浸りきって疑問に思わない人もいるだろう。その意味では、身近に一流の仕事があるかどうかではなく、それを求める情熱があるかどうかが問題なのだ。
何が一流で何が三流なのか、区別が難しいこともあるだろう。すぐれた仕事が運に恵まれず全く日の目を見ないこともあるし、一時期もてはやされた仕事が後の時代になって否定される場合もある。しかし私たち支援者が関わる分野に限って言えば、一流の仕事とは、人や場所が変わっても価値を持つ普遍性と個人的な印象や思い込みを超えた客観的で実証的な根拠を持つ仕事と考えてよいだろう。反対に三流の仕事とは、特定の施設内などの狭い範囲内でしか価値を持たず、客観的な根拠を欠いた思い込みや、習慣的・惰性的な繰り返しによってのみなされている仕事と言える。
そして、一流の仕事の背景には必ず対象への敬意と暖かい思いがある。むしろ、はじめにこの思いがあってこそ、自分の仕事に自己満足を超えた普遍性と客観性を求めないではいられなくなるのだ。反対に個別の対象への思いがなければ、科学の看板を掲げていたとしても、むしろ柔軟性を欠いた視野の狭い仕事に終わるだろう。
この分野で私の仕事に強い影響を与えた先達を挙げるとすれば、ローナ・ウィング先生とエリック・ショプラー先生のお二人だろう。ウィング先生が提唱された自閉症スペクトラム概念の背景には、科学的な調査研究に基づく客観性と同時に支援を必要としながらも理解されにくい人たちへのまなざしがあった。ショプラー先生は、人々が自閉症の人たちを社会に近づけることばかり考えていた時代に、社会の方を自閉症の人たちへ近づけることを考え、実証的な根拠に基づいて実践を積み上げられた。お二人に共通していることは、一人ひとりの人たちを尊重し、その人たちにとっての幸せは何なのか、それを実現するためには何が必要なのかを徹底して考え続け、行動したことだと思う。その結果が自閉症スペクトラム概念でありTEACCHプログラムであったのだ。
私自身は今も一流ではないし、今後も決して一流になることはないだろう。しかし、一流を知り、一流から学び、一流の人たちに恥ずかしくない仕事に近づくための努力を今後も続けて行きたいと願っている。
(おしまコロニー機関紙「ゆうあい」2013年6月号より許可を得て転載)