従来から、発達障がい、特に自閉症スペクトラムについては、早期診断・早期療育の重要性が強調されてきました。ここ最近は、欧米を中心に早期療育の効果が科学的な論文として次々に発表されるようになり、早期診断・早期療育への関心が以前にもまして高まっています。
その一方、早期診断そのものにどんなに善意に満ちた意図があったとしても、それを肯定的に受け止め、その後の人生に前向きに生かしていくことの難しいご家族はまだまだ少なくありません。早期診断の重要性が声高に語られているからこそ、診断を受けたことによる苦痛や「普通の」世界から切り離されてしまったという断絶感は、むしろ決して無視すべきものではないでしょう。診断を受けたことをきっかけに、ご家族が精神的に不安定になってしまったり家族関係が悪化していったりすることもけっしてまれではありません。
診断のみならず療育もご家族を追い込む原因になることがあります。強制的で子どもの自発性を大切にしないやり方など療育プログラムの側に問題がある場合はもちろんのこと、療育そのものには大きな問題がない場合でも、「普通でない」場所に通わなければならないという思いや、子どもが期待しているとおりに成長してくれないという焦り、生活の中に占める時間や費用の負担の大きさなどが第三者からは見えにくいストレスの原因になっていることもあります。特に、療育が「よいもの」とされている現在、もしその意義や効果をあまり感じていなかったとしても、療育を利用しないことが子どもの将来にとって不利になってしまうのではないか、療育に通わせないダメな親として見られてしまうのではないか、といった無言のプレッシャーを感じて、よくわからないけれどもとにかく通っている、あるいはただ不安に駆られて「できることは何でも」と、手当たり次第に利用できるものはすべて利用しているということもあるかもしれません。
私自身、早期診断・早期療育に関わる立場です。世界中で積み重ねられる科学的根拠とともに、それと必ずしも軌を一にしない診断や療育の現場の葛藤のただ中で、当事者の一人として悩み続けてきました。確かに、早期診断・早期療育には一定の科学的根拠があります。ですから、それを単純に否定することは、成長にとって意味のある機会を子どもから奪ってしまうことにもなりかねません。かといって、発達に気になるところのある子どもたちを次々に診断し療育へと送り込んでいくというやり方が、これから子育てや教育の長い道のりを歩んでいかなければならないご家族、特に、個人的な資質や生活背景も様々なご家族にとって唯一の選択肢であるべきだとも思えません。
しかも、現在、科学的根拠が示されているような「療育」は、一定の技法を2歳台から集中的に行うという、人的資源の面でもコスト的にも要求度の高いものが中心です。時間も短く、頻度も少なく、開始年齢も遅く、技法的にも確立しているとは言い難い日本の療育の現状とは大きな隔たりがあります。
そんな状況の中、私たちは早期診断とそれに基づいた療育をこれからも続けていくべきなのでしょうか?
今まで述べてきたような矛盾や問題を抱えていることを認識しながらも、私自身はこの問いに対して、「やはり療育には一定の価値がある」と答えたいと思っています。ただし、そこには一つの条件があります。それは、「早期診断・早期療育を受けたいですか?」というご家族への問いかけを、ちょっとだけ変えてみるということです。
その問いかけとは、「お子さんのことをよりよく理解されたいと思っていますか?」というものです。そして、「はい、今よりもっと理解したいと思っています」と答えていただけるご家族には、そのお手伝いをしていきたいと思っているのです。
もちろん、私たち支援者がご家族以上にそのお子さんのことを知っているはずがありません。お子さんの第一の専門家はご家族です。ですから、私たちが専門家然としてお子さんのことをご家族に教えよう、などと考えているわけではありません。ただ、実際には身近だからこそ見えにくいこともありますし、ひょっとするとお子さんの自発性よりもご家族の願いや期待が先行してしまっていることもあるかもしれません。しかも、長い時間をかけて積み重ねられてきた膨大な科学的知見の中から、そのお子さんをよりよく理解するために役立つ要素を抽出し、それを元に毎日の生活を成長にとって意味のある形に整えることは、ご家族だけでは困難なことです。その中には、「何をするべきか」だけでなく、「今は何をしないでおくか」を決めることも含まれるでしょう。
私たちの考える療育とは、それを、別々の専門性を持つご家族と私たち支援者が一緒に行っていこう、という一種の共同作業です。具体的には、私たちが行う評価やそれに基づいた目標設定と工夫の仕方をご家族に見ていただき、そこから毎日の生活の中に生かしていけるヒントを一緒に見つけていくこと、実際の生かし方を相談していくことです。
私たちの問いかけに対して、「私は子どものことはよく理解しているから、あなたの手助けはいらない」とおっしゃるご家族もいらっしゃるでしょう。その場合には、おそらく異なるアプローチが必要です。だから療育は唯一無二の選択肢ではなく、子どもをよりよく理解するための一つの機会となりえる場合を選んで、一つの道具として使っていくべきものです。
早期診断についても同じことが言えるでしょう。子どもをよりよく理解するための前向きの道具になりえるときには、診断は強力な味方になります。しかし、もし診断を生かしていくための準備がまだご家族に整っていないのであれば、診断はむしろご家族を傷つけ、その力を奪ってしまうかもしれません。
どのようなご家族には診断という形をとり、どのようなご家族には診断以外の形をとるべきなのか、診断以外であればどのような援助が効果的なのかについては、まだ十分に検討されているとは言えません。今後、このような点についても研究が進むことを期待しています。もしかすると将来は、診断に対して積極的であろうとなかろうと、ご家族を含め周囲の誰もがお子さんのことをよりよく理解し、その成長にとって意味のある毎日をデザインすることができるようなユニバーサルな方法が見つかるときが来るのかもしれません。
いずれにしてもそれまでは、ご家族が診断あるいは療育を前向きに生かしていける状態になっているのかどうかを見極めること、そしてその状況に応じてご家族と私たちがお子さんのことをよりよく理解できるように力を合わせていくことが、私たち支援者の仕事の一つになるでしょう。その上で、型どおりの療育に安住せず、常に、なぜ、何のために療育をしているのかを問い直しつつ、新たな療育のあり方についても考え続ける必要があるのだと思います。私自身も、そのことを常に心に留めながら、毎日の臨床に携わっていきたいと思っています。