みなさんには「好きなこと」がありますか?一言で「好きなこと」といっても、趣味であったり、仕事であったり、何気ない日常的な習慣であったりと様々なものがあるでしょう。中には、ちょっと人には言いにくい…というものもあるかもしれません。子どもだったらスポーツに夢中になっていたり、大人だったら料理やガーデニングが好きです、というのは、結構堂々と言えるでしょうし共感もしてもらいやすいかもしれません。でも、子どもが刃物や銃に関心を持っていたり、大人の男性がリカちゃん人形のコレクションを趣味にしている、などという場合には、家族もあまりいい顔をしないかもしれないし、本人もなかなか大っぴらには言いにくいかもしれません。
私が出会う子どもたちの中には、気づきにくいけれどもとても気になる子どもがいます。小さいころには屈託がなく、一種天真爛漫なところがあったのに、成長するにしたがって次第に無気力になっていく子どもたちです。明らかな問題行動はないのですが、もともとあった活気がだんだんなくなっていきます。何が原因なのかは、おそらく一人ひとり違うでしょうし、一つの要因でそうなっているというよりも、いくつかの要因が複雑に絡んでいて、話はそれほど単純ではないのでしょう。ただ、比較的共通しているのは、「好きなことを大切にしてもらっていない」ことのように感じます。なぜなら、その子どもたちが好きなことは、たいていの場合、大人にとっては「くだらないこと」だったり「よくないこと」だったりするからです。
そんな子どもたちが好きなのは、テレビ、ビデオゲーム、アニメ、フィギュア、マンガ、You Tubeなどが典型的です。こういう子どもたちに、「自由時間はどんなことをしていますか?」と尋ねると、あまり答えたくなさそうにしたり、恥ずかしそうに小さな声で答えたりします。中には、「勉強しています」とか、「本を読んでいます」などと事実とは違う、とりあえず大人が期待していそうな回答をする子どももいます。無意識のうちに、自分が本当に好きなことは大人が歓迎しない、ということを察知しているのでしょう。
もし、私たちが子どものころから自分の好きなことを誰にも大切にしてもらえず、それを誰とも共有する経験がなかったとしたら、いったいどうなるでしょうか。それは、自分自身を大切にしてもらったことがない、ということとほとんど等しいかもしれません。そのような毎日が、その子どもたちの意欲や活気を次第に奪っていくということは、十分に考えられることです。
そのような子どもたちがとてもはまりやすいのが、インターネットを介して他人と一緒に楽しむゲームです。ゲームの世界では、当然、相手もそのゲームが好きですし、ゲームが好きなことを否定されることもありません。まさに、今までにはなかった「好きなことを大切にしてもらえる体験」です。子どもによっては、そこだけが唯一の安心・安全な世界、自分が自分のままで生き生きできる世界になっていることもあるでしょう。実は、ゲームそのものはそれほど好きでなくても、否定されずに受け入れてもらえる世界がそこにしかないために、結局はそこを頼りにするしかない、という場合もあります。
ですから、私たちの施設では、中身が何であれ、まずはその子どもが好きなものを大切にすることを心掛けています。もちろん、限られた診療や療育の時間の中で十分な対応ができているとはいえません。それでも、最初は警戒していても、自分の好きなことを大切にしてもらえるとわかると、次第に警戒が解け、私たちのところに来ることを楽しみにしてくれるようになる子どももいます。場合によっては、好きなものが年齢に見合わないほど幼なかったり、奇妙だったり、猟奇的だったりすることもあります。たとえそういったものであっても、それが好きな人がいるということはそこにはそれなりの世界があり、それなりの魅力があるということです。ですから、まず大切なことは、私たちのほうがその世界のことをよく知ることです。よく知ると、なぜその子どもがその世界に惹かれるのかが見えてくることもありますし、それが次の一歩につながることも少なくありません。
もちろん、私自身がその子どもが好きなものを本当に好きになれるとは限りませんし、そのことについてよく知る時間をとれない場合もあるかもしれません。ただ、そういった場合でも、そのことを共有できそうなスタッフとの時間を設定したり、そのような対応をしてもらえそうなほかの支援機関をご紹介することもあります。ですから、自分一人ですべて対応しなくてもよいのです。ただ、どんなものであってもまずはその子どもが好きなことを否定しないこと、その好きなことを肯定的に受け止めてもらえ、社会的に適切な形で楽しむことができる場を見つけることは意識するようにしています。
え?私の「好きなこと」ですか?それは、大切にしてくれる人にだけ、こっそり教えてあげますよ(笑)。