60. 発達診療は「精神療法」なのか

前回のブログで、令和8年度の診療報酬改定で、非精神保健指定医による通院・在宅精神療法がこれまでの60/100に減額されることになったことについて書きました。

この改定が議論を呼んでいる背景には、小児科医などの非精神保健指定医が精神科として診療を行い、通院・在宅精神療法を算定してきたという現実があります。しかもそれが地域の発達診療の中で大きな役割を果たしてきたことから、今回の改定によって発達診療からの撤退を余儀なくされる医療機関が出るのではないかとの懸念が広がっているのです。

しかしその一方で、発達障害や知的障害には、うつや強度の不安、気分の極端な変動、脅迫的な念慮や行動が併存することも多く、そもそも精神科として診療を行うのであれば精神科医としての一定のトレーニングを受けることを要件とすることは当然なのではないかとの意見も少なくありません。

私自身は、この問題の根本は、通院・在宅精神療法の減算云々という表面的なものではなく、そもそも発達診療ははたして「精神療法」なのか、という点から問い直すべきではないかと感じています。

この問題については、以前、「発達診療は何科?」というタイトルで、本来精神科医ではない私が精神科で診療を行わざるを得ない状況に対する居心地の悪さや違和感について、やや婉曲な形で書いたことがあります。このときに書いた、「ニセ精神科医と言われれば、全くその通りと認めるしかありません。」という表現は決して誇張や謙遜ではなく、私の気持ちを率直に表したものでした。そしてその気持は今でも変わっていません。

しかし、誤解してほしくないのは、私が自分自身の診療を、本物の精神科医の診療に比べて「一段劣ったものである」とか「やむを得ない代替品である」と考えているわけではない、ということです。

そもそも私が「発達診療」という言葉を使うようになったのは、小児科や精神科といった、従来までの診療科の枠組みでは収まらない、発達の問題に特化しつつライフステージを貫く診療スタイルが必要だと感じたからです。そして、その考え方は、(唯一の正解ではないにしても)今でも間違っていないと思っています。

私が目指してきた「発達診療」は、「精神療法」とは異なるものです。精神療法とは、何らかの精神医学的問題を抱える個人に対して「治療」を行うことでその問題を改善することを目指したものです。その前提は、「問題は個人にあり、個人の治療を行うのが医療の役割である」という、いわゆる「医学モデル」です。精神療法を補完するために薬物療法が行われることもありますが、個人を対象にしている点は変わりません。

これに対して私が目指してきた「発達診療」は、問題を個人のレベルではなく、ある特性を持つ個人が、環境との相互作用の中で生じる困難を対象にします。特に、対象が子どもである場合には、その重要な環境である保護者や、家庭・保育園・幼稚園・学校といった物理的環境・人的資源へ働きかけることが、本人への働きかけと同じか、それ以上に重要となります。「異常」を治して「正常」にするのではなく、その子どもが持っている特性を活かしながら、よりよく学び、成長できる環境を整えていくことが主眼です。

もちろん子ども本人に働きかける部分もあります。しかしそれは悪いものを治す「治療」ではなく、自分自身についてよりよく知り、自分に合った工夫ややり方を身に着け、そのことによってそれぞれの子どもにふさわしい方法で学び、成長するためのものです。

そして、その必要性は子ども時代で完結するものではありません。知的障害や発達障害がある場合には、自分自身の特性と向きあい、その特性にあった環境を選び、工夫を続ける必要があります。発達水準や年齢、生活環境によって具体的な方法は変わっていくものですが、自分自身についてよりよく知り、周囲の理解のもとで力を発揮できる環境を整えていくことがアプローチの中心であることは、生涯を通じて変わらないのです。

この考え方のエッセンスについては、過去のブログ「私たちの療育が目指すもの」、そしてこのブログを書き始めるきっかけの一つになった「自閉症を診断するということ ~2年間の海外生活を振り返って~」でも書かせていただきました。

本来は小児科医であるはずの私が成人の診療を続けてきたことにも意味があります。日本の発達支援の現場は「短距離ランナー」が中心です。保育園、幼稚園、学校にかかわらず、子どもの支援は1〜2年ごとに担当者が変わるのが普通です。そのような関わり方は、集中的に手厚い支援を実現するうえでは有利ですが、人生を一貫して見守り続ける役割には向きません。そして現実問題としてそのバトンタッチの際に問題が生じることがしばしばあるのです。主力としてバトンを渡し続ける短距離ランナーのそばに、関わりの濃さではかなわないものの、息長く伴走する存在で居続けられることこそ、医療の強みなのではないかと考えてきたのです。

さらに、小児科医としての限界を感じていたのが「子どもしか知らない」という事実でした。成人の方にお会いするようになって、それまでは全く見えていなかったことに数多く気付かされるようになりました。特に、障害の軽い、一見すると個性の範囲内に見えそうな人たちこそ、問題の解決が個人の努力のみに委ねられることで、学ぶ機会を失い、傷つき、困難な状態に追い込まれていく経過を取りやすいことは、「障害を軽くする」ことばかりを考えていた私にとっては大きな衝撃でした。大人の人たちに出会ったことが、私の療育観を大きく変えるきっかけになったのです。

このような背景があり、今回の改定を知ったときには「ただでさえ厳しい診療所の経営をどうして行ったらいいのだろうか」という先の見えない不安の一方で、来るべきものが来た、これで良かったのだ、という不思議な安堵感もありました。

しかし、実際に精神科の先生方と膝を突き合わせてこの問題について話し合っていくなかで、精神科医療の現場では、現在でも発達障害や知的障害の人たちの診療を専門的に行える体制はそれほど充実していないという現実にも直面することになりました。比較的落ち着いている方の診断書業務については受けてくださる医療機関が多かったのですが、行動上の困難が大きな場合や、込み入った相談を必要とする場合については「専門的な診療は困難」として断られることが多かったのです。

今回の通院・在宅精神療法の減算は、「精神療法」とは何か、誰が行いうるものなのか、という点を明確にしたという点で、その方向性は正しいものだったと思います。しかしそうであれば、「精神療法」ではない「発達診療」を、他の方法で評価すべきではなかったでしょうか。

小児科には小児特定疾患カウンセリング料があるだろう、とか、選定療養費を徴収すれば済むのでは、といった意見も目にしました。しかし、小児特定疾患カウンセリング料は、最長でも4年間限定です。3歳から診療を始めれば7歳までしか算定できず、18歳まで診療を継続すれば10年以上を再診料だけで賄っていかなければなりません。これではただでさえ一人ひとりに時間のかかる発達診療を継続していくことは困難です。また、選定療養費は、貧困の問題と背中合わせになりやすい発達診療を、本当に必要とする人たちにとって手の届かないものにしてしまう懸念もあります。

今回の改定を、単に「現場が経済的に困る」といった表層的な議論に終わらせず、発達診療とは何か、それを地域の資源として守り、育てていくためにはどのような仕組みが必要なのかを考えるきっかけとしていきたい。今の私はそのように考え、そのために小さな声を上げ続けて行きたいと思っています。

函館で発達にかかわる診療をしている医師です。

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